昭和46年3月 我が青春の北海道合宿記

鉄道旅行
勇ましく煙を吹き上げながら函館を目指して走り出した126レ S46,03,17 大沼
  • 大学2年の終り、春の合宿地は北海道になった
  • 関西線急行「かすが」で名古屋へ出、東名高速の特急バスで東京へ、上野から出世列車と言われた「津軽」で北を目指す
    関西線急行「かすが」で名古屋へ出、東名高速の特急バスで東京へ、上野から出世列車と言われた「津軽」で北を目指す
    上野駅で「もりおか」号を発見 S46.3.15眠れぬ夜も明けて奥羽本線神宮寺で上り「つばさ1号」と行き違い  S46.3.16
    眠れぬ夜も明けて奥羽本線神宮寺で上り「つばさ1号」と行き違い S46.3.16秋田では初めてナメクジと出会う s46,03,16
    秋田では初めてナメクジと出会う s46,03,16大館で途中下車し電化前の奥羽線列車を撮ることに 442レ 大館
    大館で途中下車し電化前の奥羽線列車を撮ることに 442レ 大館IMG_0087
    IMG_0087IMG_0088
    IMG_0088貨物列車を組成中?のハチロク
    貨物列車を組成中?のハチロク502レ上り急行「きたぐに」 下川沿-大館
    502レ上り急行「きたぐに」 下川沿-大館696レ貨物
    696レ貨物有蓋、無蓋、タンク車、家畜輸送とバラエティに富んだだ組成の貨物列車
    有蓋、無蓋、タンク車、家畜輸送とバラエティに富んだだ組成の貨物列車

コメント

  1. 前年の合宿地は九州だったので今度は北海道ということになった。今や関西から渡道するのに青函トンネルを使う人などいないと思うが、当時は本州から北海道へのルートは青函連絡船利用というのが当たり前だった。関西からの周遊券は北陸・東海道・関西線が利用できたうえ、東名高速のバスも利用できたのでそれを使うことにした。富士山の実物を見たのはこの時が初めてだったと思う。誰の考えだったのか知らないが、東北線経由で目指すのでなく奥羽線の「津軽」で秋田を経由するルートになった。青函連絡船で船中泊とするのに都合よかったのと電化前の蒸機列車を撮ることができるという考えもあったと思う。また、秋田駅で母親が作ってくれた弁当を食べていると駅弁の立ち売り屋さんがそれを見て、「どこで買われたんですか?」と真顔で訊かれたことを今でも思い出す。

  2.  懐かしい写真を見せていただき、ありがとうございます。
     いい時代でしたね。小生は、青函連絡船を寝るところと決めて、北海道の撮影計画を立てていました。
     この投稿の続きがありますね?楽しみにしています。

    • 当時プラン作成の基本は、できる限り夜行列車を利用して宿代を節約することでしたね。奥羽本線経由だと弘前を通るので、私はそうしませんでしたが弘南電鉄を撮ることができるというのも計画作成の一つだったように思います。今回の投稿は次回も本州編になりますが、その後北海道に移る予定です。