モ1400系 Ⅱ

近鉄
上本町ー橿原神宮駅間直通臨時急行 S44.2.11 橿原神宮駅
  • 学生時代、名張方面ローカルの主力だった1400系活躍の光景をご紹介。
  • 橿原線から大阪線に帰る S44.2.11 八木西口
    橿原線から大阪線に帰る S44.2.11 八木西口榛原行準急 S45.2.16
    榛原行準急 S45.2.16鶴橋駅ホーム夕景 S45.8.16
    鶴橋駅ホーム夕景 S45.8.16上本町駅構内で次の出番を待つ S45.10.25
    上本町駅構内で次の出番を待つ S45.10.25秋の臨時列車「赤目香落号」長谷寺ー榛原 S45.11.15
    秋の臨時列車「赤目香落号」長谷寺ー榛原 S45.11.15「赤目香落号」こちらは4連 S45.11.15
    「赤目香落号」こちらは4連 S45.11.15夕暮れ間近 三本松ー赤目口 S45.11.15
    夕暮れ間近 三本松ー赤目口 S45.11.15名張を目指し山間を行く区間急行 室生口大野ー三本松 S46.7.17
    名張を目指し山間を行く区間急行 室生口大野ー三本松 S46.7.17

コメント

  1. 建国記念の日に橿原神宮駅(駅名が「橿原神宮前」になったのは昭和45年からだそうです。)に電車の写真を撮りに行ったら大阪からの直通急行が運転されていて撮ったのがタイトル写真です。元がハーフサイズなので画質、ピントとも荒く方向板の文字は判然としません。600ボルト車両は1500ボルト区間には入れませんが、1500ボルト車両はそうでもなかったようで性能は落ちるものの湘南電車が高崎線から上信電鉄に乗り入れていたこともあったそうで、普通に直通していたのかもしれません。モ1400は200馬力の主電動機を装備していたので八木西口~橿原神宮間数キロくらいヘッチャラだったんでしょうね。

    •  小生も、橿原神宮前駅で、大阪線の車両を見たことがあります。その時は、「1500Ⅴ車が、入ってきているんだ」と思ったぐらいです。
       近鉄は、布施と上本町間が、奈良線のみの時代に、大阪線の1500Ⅴ車が600Ⅴ線の奈良線を走っていた実績があります。それは、奈良線と大阪線が分離されるまで行われていました。きっと、600Ⅴ区間では、大阪線の1500Ⅴ車が、十分性能を発揮できず、ノロノロ運転(言い過ぎかな)だったから、奈良線の運用に邪魔だったのでしょうね。また、大阪線の役目も果たせていないから、分離(複々線化)したのでしょうね。特に、上本町への登り坂は、1500Ⅴ車には大変だったのでしょうね。だから、上本町と鶴橋の間に変電所を作って、電圧を600Ⅴから落とさないようにしたのでしょう。上本町より遠くに変電所があると、上本町手前の登り坂での電圧の低下は免れないですからね。電圧が下がれば、より性能が発揮できなくて、上り坂も登れないことが考えられます。変電所の位置は、直流で動く鉄道では重要なことですから。
       1500Ⅴ車を600Ⅴ区間の短い区間に入線させることもあると仮定して、当時はいろいろと考えていたのでしょうね。今は、奈良線、京都線、橿原線などみんな1500Ⅴになって、複電圧を考えなくてもよくなりましたね。

      • そうでした!上本町~布施間は昭和31年の複々線化により大阪線が分離されるまで600V区間を共用していたんでした。
        手元のガイドブックによるとモ600の主電動機は112㎾、モ1400は150㎾とあります。電圧の差が出力差になっていたんでしょうか?単純に電圧が2.5分の1になったから出力も比例して下がるということでもないようで・・・。18200や18400は複電圧対応でしたが具体的にどんな対策がとられていたのか。
        それから上本町~鶴橋間の勾配は標準で「10.8」とありました。昔ピクの記事で、481系の山陽線試運転の時電圧降下が10パーセント以上だと定時運転が難しいというような意味のことが書かれていたような記憶があるのですが、列車の運転は電圧の差以上に変電所容量の要素も大きかったのか、上本町~布施間線路分離の事情と併せて興味のあるところですね。