関西線を走ったD51三重連 国鉄 2021.11.062022.05.01 投稿内容: 昭和46年の秋、我が関西線でも三重連が走りました 追加投稿画像: タイトル: 三重連の先頭はD51895 奈良付近 S46.9.26 タイトル: 重連だが同じD51895が牽く「JC赤トンボ号」 タイトル: 佐保川を渡る「JC赤トンボ号」 タイトル: 後部にも愛称板を掲示していた「JC赤トンボ号」 コメント 名前:南本利治 : 投稿日:2021/11/06(土) 21:23:53 ID:I0Mzc2ODY 播但線のC57三重連を投稿した後、次のネタを探していたら関西線のデゴイチ三重連を見つけました。撮影日は昭和46年9月26日。線路際で撮った写真から先頭は895であることがわかりました。ところが、その次のネガのコマはおなじ895だがこちらは「重連」の赤トンボ号・・・。 こちらの方は後部を撮った写真から確かに「JC赤トンボ」の文字が読み取れます。ネットを検索すると三重連の赤トンボは往路のみで復路は台風のため運転が取りやめになったと出てました。重連の方は別の日に運転されのでしょうか、撮影当時のことは殆ど覚えておらずなんとも不思議な感じです。そんなわけで重連の方も一緒に投稿させていただきました。 返信 名前:塚本勝美 : 投稿日:2021/11/07(日) 16:36:20 ID:AwNzE3NTA 関西本線の3重連の懐かしい写真を見せていただき、ありがとうございます。小生も撮影に出かけましたが、この日は雨の日で、この「赤トンボ」を追いかけるのが大変でした。 佐保川を渡る手前で、奈良駅を発車してくる「赤トンボ」を見ると、D51の3重連でないことを知って、がっかりしたことを覚えています。当時の関西本線のイベント列車は、重連でイベント区間を走ることはありましたが、3重連で走ることは一部の区間だけでした。「赤トンボ」の1年後のS47年9月24日に走った「SL3重連バンビ号」は、奈良と亀山間を走りましたが、3重連区間は、下りの加茂と奈良間だけだったように記憶しています。その時の写真を、後日、投稿します。 返信 名前:南本利治 : 投稿日:2021/11/07(日) 20:19:18 ID:Q0NzMzMTM 当時は蒸気機関車の終焉間近とあってSLブ-ムの真っ最中、関西線でもSL柳生号などというのも運転されてましたね。それにしても、総括制御のできない蒸気機関車を3台同時に運転するということは、乗務員だけでも電車の6倍も必要だからイベントとはいえ思い切ったことをしたものだと思います。今や大きな駅でも乗務員の姿は見られても駅員の姿を見かけることは殆どありません。出札や改札に掛員がいた時代が懐かしい。 返信 名前:塚根 義通 : 投稿日:2021/11/08(月) 12:11:49 ID:UyNzcxMjQ 高校生の頃に加太越えの多分D51三重連だと思うのですが、撮影に出かけました。 当時非電化の長尾から先の片町線キハ20単行に乗って行ったような記憶があります。 今、その長尾駅近くに住んでいますが、207系や321系の7連が走っているのを見ると時の流れを感じます。 で、肝心の加太越えですが、台風が接近していて加太駅から歩いて向かったものの風雨が強くなり、バス停の小屋で雨宿りをしていたところ、たまたま一緒になった同好のおじさんがラジオを聴きながら関西線は不通になったので今日の運転は中止と教えてくれました。 仕方なく駅まで戻り、代替えのバスに乗って伊賀上野かどこかの駅まで戻って帰りました。 記憶が定かではないのですが、南本さんがおっしゃっている台風で中止になった復路の三重連を撮りに行ったのかも知れません。 返信 名前:南本利治 : 投稿日:2021/11/09(火) 20:05:49 ID:g1NDQ1Njk インターネットで「D51895」と検索すると「機関車データベース」というサイトがあって、同機の履歴として”関西本線三重連団臨客「JC赤トンボ号」牽引(本機+D51+D51+PC 湊町ー伊賀上野間 往路のみで復路は台風のため運行中止)”とありました。そんなわけで、塚根さんが撮りに行かれたのは別の列車だったのかなと思います。それにしても当時の国鉄は一生懸命だったんですね。 ・・・とここまで書いて気付いたんですが、伊賀上野ってターンテーブル無かったですよね。ということはまさに塚根さんが撮りに行かれたのはこの列車で、客扱いは伊賀上野までで亀山まで回送したということでしょうか。 返信 名前:塚根 義通 : 投稿日:2021/11/12(金) 09:42:45 ID:I4MTIwODA 50年の前のことで、メモも何も残していないので本当に記憶があいまいですが、代替えバスも奈良まで運転されたのかもしれません。そう言えば片町線も普通になったと思うので、近鉄に乗って帰ったことを思い出しました。 伊賀上野というのはうそですね。すみません。 でも関西線に出かけたのはこの時限りなので、いま考えても残念です。 返信 名前:塚本 勝美 : 投稿日:2021/11/12(金) 22:07:49 ID:E5MzQ4NjU 柳生号や伊賀号などの伊賀上野止まりのイベント列車のD51は、柘植のターンテーブルを使っていました。ですから、伊賀上野から柘植までは、D51単機や重連で回送されていましたよ。「赤とんぼ」も然りです。 返信 名前:南本利治 : 投稿日:2021/11/13(土) 13:51:13 ID:Y2ODcwODE 柘植にターンテーブルがあったんですか。柘植の駅は通り過ぎるだけで構内の様子は殆ど知りませんでした。20年ほど前に加茂から木津までの切符を買って関西線を反対方向に進む大回り乗車をしたときに草津線に乗り換えるためプラットホームに降りたことがあるくらいでしょうか。なるほど、草津線の客車列車が蒸気機関車牽引だった時代、終点の柘植に転車台がないと具合が悪かったでしょうね。 それにしても、SL柳生号など関西線のイベント列車は何で伊賀上野止まりだったんだろう。ハチロクのお別れの時は亀山までだったけれど。 返信 名前:塚本 勝美 : 投稿日:2021/11/14(日) 15:29:20 ID:M5MDU5NDA 伊賀上野より以遠でも、「伊賀号」のD51が客車を引く写真がありましたので、「伊賀号」のヘッドマークをよく見ると、湊町・天王寺・柘植と書いてあります。「伊賀号」は柘植までD51が牽引していたことが分かります。「柳生号」は伊賀上野までだったように思います。でも、伊賀上野以遠でも、D51の単機や重連の回送を見受けましたよ。 方向転換に使われたのは、柘植駅の転車台で間違いないと思います。場所は柘植駅の西方、関西本線横にあったと記憶していますが。 「柳生号」は、NHK大河ドラマ「春の坂道」で柳生が観光地化していましたから、その柳生の最寄り駅である笠置で観光客を下して伊賀上野へ。また、「伊賀号」は「柳生号」の後を継いだ形で、忍者ブームの地である伊賀上野へ観光客を運んでいました。どちらも、大阪から近場の観光地である笠置や伊賀上野へ行く日帰り旅行に寄与していたと思います。 名前:塚本 勝美 : 投稿日:2021/11/14(日) 18:30:19 ID:M5MDU5NDA 柘植駅の転車台の方位を駅の西方と書きましたが、方位を勘違いしていました。柘植駅の北北西にありました。関西本線、草津線の分岐するところの草津向いて右側です。
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播但線のC57三重連を投稿した後、次のネタを探していたら関西線のデゴイチ三重連を見つけました。撮影日は昭和46年9月26日。線路際で撮った写真から先頭は895であることがわかりました。ところが、その次のネガのコマはおなじ895だがこちらは「重連」の赤トンボ号・・・。
こちらの方は後部を撮った写真から確かに「JC赤トンボ」の文字が読み取れます。ネットを検索すると三重連の赤トンボは往路のみで復路は台風のため運転が取りやめになったと出てました。重連の方は別の日に運転されのでしょうか、撮影当時のことは殆ど覚えておらずなんとも不思議な感じです。そんなわけで重連の方も一緒に投稿させていただきました。
関西本線の3重連の懐かしい写真を見せていただき、ありがとうございます。小生も撮影に出かけましたが、この日は雨の日で、この「赤トンボ」を追いかけるのが大変でした。
佐保川を渡る手前で、奈良駅を発車してくる「赤トンボ」を見ると、D51の3重連でないことを知って、がっかりしたことを覚えています。当時の関西本線のイベント列車は、重連でイベント区間を走ることはありましたが、3重連で走ることは一部の区間だけでした。「赤トンボ」の1年後のS47年9月24日に走った「SL3重連バンビ号」は、奈良と亀山間を走りましたが、3重連区間は、下りの加茂と奈良間だけだったように記憶しています。その時の写真を、後日、投稿します。
当時は蒸気機関車の終焉間近とあってSLブ-ムの真っ最中、関西線でもSL柳生号などというのも運転されてましたね。それにしても、総括制御のできない蒸気機関車を3台同時に運転するということは、乗務員だけでも電車の6倍も必要だからイベントとはいえ思い切ったことをしたものだと思います。今や大きな駅でも乗務員の姿は見られても駅員の姿を見かけることは殆どありません。出札や改札に掛員がいた時代が懐かしい。
高校生の頃に加太越えの多分D51三重連だと思うのですが、撮影に出かけました。
当時非電化の長尾から先の片町線キハ20単行に乗って行ったような記憶があります。
今、その長尾駅近くに住んでいますが、207系や321系の7連が走っているのを見ると時の流れを感じます。
で、肝心の加太越えですが、台風が接近していて加太駅から歩いて向かったものの風雨が強くなり、バス停の小屋で雨宿りをしていたところ、たまたま一緒になった同好のおじさんがラジオを聴きながら関西線は不通になったので今日の運転は中止と教えてくれました。
仕方なく駅まで戻り、代替えのバスに乗って伊賀上野かどこかの駅まで戻って帰りました。
記憶が定かではないのですが、南本さんがおっしゃっている台風で中止になった復路の三重連を撮りに行ったのかも知れません。
インターネットで「D51895」と検索すると「機関車データベース」というサイトがあって、同機の履歴として”関西本線三重連団臨客「JC赤トンボ号」牽引(本機+D51+D51+PC 湊町ー伊賀上野間 往路のみで復路は台風のため運行中止)”とありました。そんなわけで、塚根さんが撮りに行かれたのは別の列車だったのかなと思います。それにしても当時の国鉄は一生懸命だったんですね。
・・・とここまで書いて気付いたんですが、伊賀上野ってターンテーブル無かったですよね。ということはまさに塚根さんが撮りに行かれたのはこの列車で、客扱いは伊賀上野までで亀山まで回送したということでしょうか。
50年の前のことで、メモも何も残していないので本当に記憶があいまいですが、代替えバスも奈良まで運転されたのかもしれません。そう言えば片町線も普通になったと思うので、近鉄に乗って帰ったことを思い出しました。
伊賀上野というのはうそですね。すみません。
でも関西線に出かけたのはこの時限りなので、いま考えても残念です。
柳生号や伊賀号などの伊賀上野止まりのイベント列車のD51は、柘植のターンテーブルを使っていました。ですから、伊賀上野から柘植までは、D51単機や重連で回送されていましたよ。「赤とんぼ」も然りです。
柘植にターンテーブルがあったんですか。柘植の駅は通り過ぎるだけで構内の様子は殆ど知りませんでした。20年ほど前に加茂から木津までの切符を買って関西線を反対方向に進む大回り乗車をしたときに草津線に乗り換えるためプラットホームに降りたことがあるくらいでしょうか。なるほど、草津線の客車列車が蒸気機関車牽引だった時代、終点の柘植に転車台がないと具合が悪かったでしょうね。
それにしても、SL柳生号など関西線のイベント列車は何で伊賀上野止まりだったんだろう。ハチロクのお別れの時は亀山までだったけれど。
伊賀上野より以遠でも、「伊賀号」のD51が客車を引く写真がありましたので、「伊賀号」のヘッドマークをよく見ると、湊町・天王寺・柘植と書いてあります。「伊賀号」は柘植までD51が牽引していたことが分かります。「柳生号」は伊賀上野までだったように思います。でも、伊賀上野以遠でも、D51の単機や重連の回送を見受けましたよ。
方向転換に使われたのは、柘植駅の転車台で間違いないと思います。場所は柘植駅の西方、関西本線横にあったと記憶していますが。
「柳生号」は、NHK大河ドラマ「春の坂道」で柳生が観光地化していましたから、その柳生の最寄り駅である笠置で観光客を下して伊賀上野へ。また、「伊賀号」は「柳生号」の後を継いだ形で、忍者ブームの地である伊賀上野へ観光客を運んでいました。どちらも、大阪から近場の観光地である笠置や伊賀上野へ行く日帰り旅行に寄与していたと思います。
柘植駅の転車台の方位を駅の西方と書きましたが、方位を勘違いしていました。柘植駅の北北西にありました。関西本線、草津線の分岐するところの草津向いて右側です。