山陰本線を走ったSLの4重連

国鉄
山陰本線を走ったSL4重連です。前からD511+C56108+C57101+D51620の4重連です。
宍道の松江寄りのところです。本務機のD51が分かりづらいですが、SL4両が写っています。出雲市から本務機のD51 620(米)が加わり、4重連になりました。
玉造温泉の松江寄りの宍道湖湖畔を行く4重連(D511+C56108+C57101+D51620)です。
米子駅の西方で撮りました。4重連(D511+C56108+C57101+D51620)で浜田に向けて帰っていきます。4重連は、出雲市までです。出雲市から浜田までは、3重連(D511+C56108+C57101)です。本務機のD51の機番は、620号です。写真から読み取れます。米子機関区の汽車です。
浜田から出雲市までは、3重連(D511+C56108+C57101)です。都野津と江津間で3重連が来るのを待って、撮影し、そして即、車を走らせ、並走です。今ではできないことです。
車と並走した時に撮った3重連です。C57101(浜)のプレートがが光ります。
温泉津駅を発車してくる3重連(D511+C56108+C57101)3両とも浜田の汽車です。真夏でこんなに煙が出るのはうれしいことです。様になります。
馬路の築堤です。今では木々が生い茂り、家々も立ち並び、この風景は見られません。変わらないのは、半島の先の形です。日本海が望めるこの場所は、小生の好きな撮影場所でした。
田儀駅から浜田寄りに1Kmほど行った地点です。国道が山陰本線の下をくぐります。追いかける人が乗る車や撮影する人で混雑していました。今では即、苦情かなあ~。

コメント

  1.  懐かしいSLの写真を投稿します。
     先日、大仏鉄道研究会の会合で、「山陰本線の4重連」の話が話題になりました。
     「良く晴れた日だったから、煙が上がらなくて・・・」「江の川の鉄橋が4重連だと強度に問題があるとのことで、3重連に・・・」「3重連は日本のあちらこちらで見られたが、4重連は珍しい・・・」など、いろいろと出ました。
     
     この「山陰本線4重連」というのは、昭和47年8月27(日)に、通常のダイヤで運行される客レを、SLの3重連(浜田~出雲市間)・4重連(出雲市~米子間)にして、浜田と米子間で行われたイベントでした。(26日〔土〕も行われたという話もありますが、記憶に残っていません。)
     これは、当時D511が浜田機関区に配属されていましたが、梅小路蒸気機関車館で動態保存するために、梅小路機関区に転出するのを記念して行われたものです。
     
     このイベントを、小生は、車で都野津から米子まで、「上り」だけでしたが追いかけました。その時の撮った写真を投稿します。こんなこともあったのだということが知っていただければ幸いです。

  2. 塚本様、楽しく拝見させていただきました。昭和47年8月といえば小生中学3年生の夏休み、ということは塚本様が大学4回生でいらっしゃいますよね。中学生と大学生、経済的にも知識の豊富さといっても雲泥の差、天と地の違いがありますよね。急行「日南3号」がÇ57に牽引されていた頃ですか?やっと一眼レフが手に入って、標準レンズ「一本」でピンボケとマイナス露光のプリントの量産、ばっかりでさっぱりでした。叔父が近鉄の「法善寺と堅下」間に住んでいて、昭和46年夏、柏原の駅でD51の貨物列車を撮った記憶があります。このころの一眼レフはペンタックスはSPかSPF、キャノンはFTでしたかFTb、F1もでていましたっけ、大御所ニコンはF、F2は出てましたか?ミノルタはSRT101、コニカもFTAでしたか?オリンパスはM-1、後にOM-1と改名、豊富なラインナップの豊かな時代でしたよね。また、お会いできた時に撮影の「苦労話」カメラ談義をさせていただければ幸いです。楽しみにしております。

    •  了解です。楽しみにしていますね。