特急「北越」号

8015M 特急「北越」 国鉄
481系による運転開始間もない特急「北越」スカートは赤字にクリーム色の帯 京都駅 s44.10.10
  • 昭和44年に登場した大阪ー新潟間特急「北越」
  • 8016M「北越」 724レの車内から
    8016M「北越」 724レの車内から
    野洲に新設された電車区の見学に行く途中上り特急「北越」と瀬田付近ですれ違い s45.05.108015M下り「北越」
    8015M下り「北越」
    列車番号は8000番台だが毎日運転の臨時列車 s45.05.10 野洲付近にて特急「北越」号大阪駅に到着
    特急「北越」号大阪駅に到着
    奥に建設中のビルは阪急の? s47.06.11長旅を終え大阪駅に到着した「北越」
    長旅を終え大阪駅に到着した「北越」
    大阪駅の西端には下の道路を跨ぐためかガーター橋が s47.06.11489系を使用の「北越」
    489系を使用の「北越」
    北陸線余呉を通過する「北越」 s47.12.21

コメント

  1.  東海道新幹線開業前、大阪と新潟を結ぶ昼間の優等列車は大阪を朝の11時過ぎに出る「きたぐに」というディーゼル急行だけで所要時間は10時間を要した(8時15分に出る特急「白鳥」は新津を出ると次の停車駅は鶴岡で新潟駅を通らなかった)。大阪新潟間の旅客需要はそれほど大きくなかったということだと思うが、物足りなさを感じていたら昭和44(1965)年10月、大阪万博での需要を見越してか新潟を朝、大阪を昼下がりに出る特急列車が設定され「北越」と名付けられた。
     昔のネガのデジタル化が大体できたのでパソコンで見ていたら、京都駅で捉えたものが見つかった。自分でもすっかり忘れていたので他にないかなと探したら何枚か見つかったので投稿させていただいた次第。野洲付近で撮った“8015M下り「北越」”だけは印画紙に焼いていたので覚えていたが、それ以外は今回の投稿課程で発見したものである。野洲付近で撮った「北越」は自分として珍しいアングルだが、現在ではこうした構図の写真を撮るのは難しいだろう。余呉の写真はプラットホームの先端から撮ったものだが、12月の北近江は日が差さず雪交じりの氷雨が降っており良い写真が撮れなかった。