10000系ビスタカーお別れの日

近鉄
旅立ちのはなむけに当日の乗務員に花束の贈呈 S46.5.9 上本町7番線
  • 鉄道ピクトリアル9月増刊号にきれいなカラー写真が載りましたが、昭和46年5月9日に行われたお別れ運転の模様です。
  • 9番線から先に出る8時30分発名阪乙特
    9番線から先に出る8時30分発名阪乙特乙特が出た後高安から回着した蚕(モスラ)
    乙特が出た後高安から回着した蚕(モスラ)山田側先頭10007の飾りは若干大きめ
    山田側先頭10007の飾りは若干大きめ10番線で後発のデトニが見送り
    10番線で後発のデトニが見送りビスタドームから
    ビスタドームから明星で撮影会
    明星で撮影会独特な面相の10001 何となく機関車的
    独特な面相の10001 何となく機関車的突き出した運転台が特徴の10001
    突き出した運転台が特徴の10001床下の冷房関係機器
    床下の冷房関係機器2パンのモ10002 床下に主抵抗器が並ぶ
    2パンのモ10002 床下に主抵抗器が並ぶ

コメント

  1. 近鉄特急の代名詞たるビスタカー。子供の頃私はビスタカーというのは、あのモ10100系のことだと思っていました。子供の頃買ってもらった絵本や図鑑には10000系の絵や写真が載っていたにもかかわらず・・・。その絵に描かれたビスタカー10000系の塗り分けは、腰部と張り上げ屋根の部分が紺色で窓周りがオレンジでした。この塗り分は一度だけ、小学校の日帰りバス旅行でトイレ休憩の時に偶然目にしたことがあります。ただその時は何故か真ん中のビスタ部分をはずした4両編成でした。その後中学生の時、奨学金の受給資格を得るための試験で橿原市内の高校に行ったとき、試験場の校舎の窓から遠くを行く新しい塗り分けの10000系を見ることができました。1年後国分駅構内での追突事故で山田側の形状は大きく変わって5年、昭和46年に早すぎる引退の時期を迎えることとなりました。引退の前に関屋付近で勾配をゆっくり上ってくる姿を見ましたが、10400→11400→12000と特急列車の出力アップが相次ぐ中、引退もやむなしだったのかもしれません。10100系・20100系等他の画期的な車両群同様保存されることなく姿を消した10000系ですがもう一度思い出してやりたいと思います。

  2. トップの写真のキャプション中「7番線」とあるのは「9番線」の誤りです。奈良線が難波乗り入れで地下の別線になるまで大阪線列車は5~8番線だったのでうっかりしました。現在大阪線上本町は6線ですが奈良線移設からしばらくは3番線から10番線までの8線だったと思います。

  3. 床下の冷房関係の機器:一見電動発電機(MG)を思わせますがピクの近鉄特急特集号からMGではなく「冷房の圧縮装置」らしいです。家庭用のエアコンでも室外機と室内機があるように、室内機たる機器が先頭部の屋根にあり、室外機を床下に装備していたようです。床下にクーラーの機器を装備していたことは知っていたのですが、私が理解していたものと外観が違っていたのでこれはMGに違いないと思っていました。考えてみたらMGが1両に2台というのは変ですよね。で、私が理解していたものはどうやら「冷房の凝縮装置」にカバーを付けたものだったようで、以前どこかで川崎式の冷房装置を装備と書かれてあったので複雑な工程が必要だったんだなあと思いました。