- 10000系ビスタカーお別れ運転では明星検車区で撮影会が行われました。
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運転台が撤去された大阪寄りの10003
大阪万博を控えタンク式に改造のためトイレを移設
中間車サ10004
号車表示は機芸出版社のスタイルブックによると登場時は扉の左が「3」右が「4」であった。
ク10005 トップの写真の反対側
VISTA CARのエンブレムが光る 登場時は屋上にエアコン機器は無く運転台寄りにグローブ形の通風器が付いていた。
MCーM間の連結部と4枚折り戸
中間M車の冷房はMC車設置のクーラーからダクトを通じて冷気を送っていた
国分の事故後18200に似た顔で復旧されたモ10007
モ10001の室内
運転台方向を望む
10001運転台
10001先頭部外観
10000系ビスタカーお別れの日 2

コメント
10000系ビスタカーモ10001の先頭部、同時期に登場した国鉄の名車20系「こだま」が先頭部にMGを搭載しているとはいえ、デザインを重視した流れるような流線型のスマートな設計であったのに対して、この10001、10007では客室面積を可能な限り広くつまり座席数を必要以上に減らしたくないというのが当時の近鉄の思想であったように思える。ただし、湘南型のように正面窓の下で運転台窓を後ろへ傾け流線型にしましたというのではなく、鼻先が前に出るように2段に曲げさらに裾を絞るという細かな芸当を見せた辺りに特急車両としての意地があったのかも知れない。あくまで私個人の勝手な想像だけれど・・・。