こんな写真がありました 2
近鉄の車両は片町線の徳庵にあった近畿車輛で製造されていました。そこから近鉄の検車区・工場へ送られていたわけですが、片町線・関西線・和歌山線を通り、吉野口から近鉄吉野線経由で橿原神宮駅(前)へ、そこで狭軌用の台車から標準軌用に履き替え工場所属の電車に牽引されて搬入されるということを誰かに聞いたか雑誌等で読んだかした記憶があります。この日は「敬老号」「20世紀号」などの臨時列車を撮りに行き、偶然目にしました。撮影順に投稿しています。モ1000型にサンドイッチになっていますが、どんな風にしたのかよくわかりませんが、まあご覧になってください。
コメント
10000系ビスタカーモ10001の先頭部、同時期に登場した国鉄の名車20系「こだま」が先頭部にMGを搭載しているとはいえ、デザインを重視した流れるような流線型のスマートな設計であったのに対して、この10001、10007では客室面積を可能な限り広くつまり座席数を必要以上に減らしたくないというのが当時の近鉄の思想であったように思える。ただし、湘南型のように正面窓の下で運転台窓を後ろへ傾け流線型にしましたというのではなく、鼻先が前に出るように2段に曲げさらに裾を絞るという細かな芸当を見せた辺りに特急車両としての意地があったのかも知れない。あくまで私個人の勝手な想像だけれど・・・。