山陽本線須磨~垂水 3

国鉄
須磨浦公園を出た辺りから近づいてくる山陽電車 S46.11.23
  • 山陽新幹線岡山開業前年の晩秋に須磨付近へ撮影行
  • 四国連絡の主力だった153系急行「鷲羽」 向こうに山陽電車と阪神電車が見える
    四国連絡の主力だった153系急行「鷲羽」 向こうに山陽電車と阪神電車が見える
    当時「鷲羽」は季節列車を含め11往復が京都・(新)大阪~宇野を結んでいた612D 「但馬1号」
    612D 「但馬1号」
    山陽路大阪口ではキハ58系のこんな長大編成が見られた。西鹿児島から長躯上ってきた寝台電車 10M「きりしま」
    西鹿児島から長躯上ってきた寝台電車 10M「きりしま」 481系による1012M「うずしお1号」
    481系による1012M「うずしお1号」1010M「しおじ1号」は181系で運転
    1010M「しおじ1号」は181系で運転
    岡山から「うずしお」を5~8分差で追い掛ける。茶色の旧国も頑張る
    茶色の旧国も頑張るクリーム色の裾帯を巻いた475系 6203M「つくし2号・べっぷ1号」
    クリーム色の裾帯を巻いた475系 6203M「つくし2号・べっぷ1号」「べっぷ」号も誇らしげに愛称板を掲げる
    「べっぷ」号も誇らしげに愛称板を掲げる特急並みの停車駅の新快速も電車線を走る 
    特急並みの停車駅の新快速も電車線を走る 
    塩屋ー垂水間を行く2823M「新快速」

コメント

  1. 今、かつて撮した写真を投稿していて気付いたことがある。例えば「鷲羽」や「但馬」の写真。「鷲羽」などそのままファインダーで追えば「但馬」や「きりしま」の作例のように列車の全景が入る写真が撮れた筈なのにそれがない。さらに、この時の「鷲羽」は定期と季節の2本が立て続けに来ているのに撮ったのは1枚だけ。その間に場所を移動したようでもないのでなんとも腑に落ちない次第である。あるいは列車線の手前にある電車線電車と被ってしまったのか。電車線といえば、新快速は今でこそ外側線(列車線)を走行して内側線を走る緩行電車などを走行中に追い抜いていくが、この頃は(国鉄)本社線である列車線は走れず、大阪や芦屋、須磨などで先行列車を待避させて追い抜いていったものである。垂水付近で撮った新快速の写真を見ながらそんなことを思い出した。

    •  懐かしい写真をまたまた見せていただき、ありがとうございます。
       いろいろな種別や形式の列車が走っていた頃が良かったですねえ。

      • >いろいろな種別や形式の列車が走っていた頃が良かったですねえ。

        全く同感です。特に急行列車の存在が大きいように思います。山陽線では客車・気動車・直流電車・交直両用とバラエティーに富んでいましたから。この後昼行の「鷲羽」や「うずしお」が廃止になったり、181系が関東に行ってしまうなどずいぶん寂しくなってしまいました。さらに昭和50年3月に山陽新幹線が全線開業したときは、東海道の時と違って昼間の優等列車が一日にして全廃され自分的には全く味気ない路線になってしまったなあと感じました。山陽新幹線開業前の様子はいずれ投稿したいと考えています。それから、今回のシリーズはあと2回投稿を予定していますのでよろしくお願いします。