「ことでん」の琴平線に乗る

その他私鉄
ことでん「琴平駅」で、発車を待つ、ことでん1200形(1212+1211)2両編成。この車両は、元京浜急行700形です。
「ことでん」こと高松琴平電鉄の琴平駅です。重厚なつくりになっています。
「ことでん」の琴平駅を左に見て、正面のJRの琴平駅を撮りました。
「ことでん」の琴平駅構内です。左に元京浜急行700形で琴平線の1200形(1207+1208)2両と、その先に元京浜急行600形のことでん1070形(1071+1072)2両が止まっています。左の1番線に元京浜急行700系のことでん1200形(1211+1212)が入線してきました。高松築港行きになります。
元京浜急行700系でことでん1212車両の車内にあった銘板です。川崎車両で作られ、京急車両で更新され、ことでん入りに際して、京急ファインテックで改造されました。長く活躍している車両というのが分かります。すごい。
右のことでん1072も、もとは京浜急行600形でした。ことでん1072+1071の2両編成 左は、前述の元京浜急行700系のことでん1200形(1211+1212)です。これに乗って高松築港へ行きます。
陶駅で元京浜急行1000形で、ことでん1080形(1081+1082)と交換です。
一宮駅で元京浜急行の1000形で、ことでん1080形(1087+1088)と交換です。
太田駅で元京王帝都電鉄5000系で、ことでん1100形(1101+1102)とすれ違いました。
瓦町で、長尾線の電車が先に発車しました。この車両も、元京浜急行1000形です。ことでん1300形(1301+1302)ラッピング電車です。
琴平から高松築港までこの電車に乗ってきました。元京浜急行の700形で、ことでん1212+1211の2両編成です。
昭和43年ころの仙川駅とつつじケ丘駅間を走る京王帝都電鉄(現在は京王電鉄)5000系です。新宿行きの各停です。
昭和43年ころの仙川駅とつつじヶ丘駅間を走る京王帝都電鉄5000系で、新宿行きの特急です。京王帝都の顔でした。遠くに見えるのが、つつじケ丘駅です。今は、ずいぶん変わりましたが、手前の架線柱の仕様とその番号は変わりません「つつじ構2」です。

コメント

  1.  去る8月20日、高松琴平電鉄の琴平線、琴平から高松築港までの全線を、初めて乗りました。車両は、元京浜急行の700形でした。
     「ことでん」には、元京浜急行の車両が多く投入されていますが、京王電鉄や名古屋市交通局からの車両も投入されています。南本さんの京浜急行の投稿写真を見て、「ことでん」の車両を見ると、おもしろいですよ。
     昭和は遠くなりましたが、6月の銚子電鉄や今月の「ことでん」で、元京王帝都電鉄の5000系の写真を投稿しましたので、昭和43年ごろに撮った写真をアップします。このころは5000系の前面の美しさに感動していました。その美しさを今でも見られるのは、うれしいことです。
     銚子電鉄では、南海の2200系をまた入れるようです。これが入ると、元京王帝都電鉄の2002+2502はどうなるのでしょうね。
     第2の働き場所で頑張っている車両たちに、「これからもがんばれ!!」って、エールを送ります。

    • 塚本様、素晴らしいご活躍ぶり感動致しました。東奔西走、もう私には真似ができません。身体が動き、財力が続く限り報告を楽しみにしています。

  2. 東へ西へ、広範囲に活動されていて羨ましい限りです。
    地方私鉄には大手私鉄の名物車両を大切に使っている会社が多いですね。
    最近では南海の22000形が銚子電鉄に譲渡されたのが話題になったものの、多くは関東方面の車両が多いように思います。軌間がが関係しているんでしょうか。(京急は標準軌ですが)

    •  コメント、ありがとうございます。
       体が動く元気なうちは、行ける所へ行こうと思っています。
       長野電鉄や富山地鉄など、中小私鉄は独自の車両を造らずに、大手私鉄のお古が多いですね。新車を造るより、中古車を購入する方が安くつくからでしょうね。また、中小私鉄の多くは、狭軌ですから、狭軌の多い関東の私鉄の車両の方が、対応しやすいのでしょうね。富山地鉄へ行った京阪の3000形のように、台車を変えてまで導入する私鉄もありますがね。銚子電鉄の2000形のそうですね。京王電鉄は広軌ですから狭軌の台車に履き替えて使っていますね。
       地方の鉄道へ行けば、かつての大手私鉄の名物車両に会えるのが、うれしいですね。

  3. ことでん、懐かしいです。
    自分は新入社員の時高松に配属になり、瓦町駅前にあった店舗への通勤などでよく利用しました。
    当初は寮が八島にあったので志度線で、2年目からは琴平線を利用しました。
    当時の瓦町駅は今のような駅ビルもなく、短いホームが2本3面の地上駅でした。
    車両も京急からの導入車も少なく、自社発注の旧型車や元阪神のジェットカーのボディーを利用した足回り改造車が走っていました。
    元阪神ジェットカーは阪神当時の面影が残っていて(加速はとてもジェットではなかったですが)、とても嬉しく思えたのを覚えています。
    当時の車両はもう残っていないようですね。
    一時瓦町駅にあったコトデンそごうの閉鎖による負債が原因で、民事再生法の適用を受けたのですが、復活しているようで嬉しいです。

    •  懐かしく見ていただき、ありがとうございます。
       昔の良き時代の思い出を、回想させてくれるこの「HP」は、いいですね。貴方のおかげです。