こんな写真がありました 2
近鉄の車両は片町線の徳庵にあった近畿車輛で製造されていました。そこから近鉄の検車区・工場へ送られていたわけですが、片町線・関西線・和歌山線を通り、吉野口から近鉄吉野線経由で橿原神宮駅(前)へ、そこで狭軌用の台車から標準軌用に履き替え工場所属の電車に牽引されて搬入されるということを誰かに聞いたか雑誌等で読んだかした記憶があります。この日は「敬老号」「20世紀号」などの臨時列車を撮りに行き、偶然目にしました。撮影順に投稿しています。モ1000型にサンドイッチになっていますが、どんな風にしたのかよくわかりませんが、まあご覧になってください。
コメント
8月からのこのシリーズも今回で完結となりました。お見苦しい写真ばかりで人様のお目にかけるのもいかがなものかとも思いましたが、いつもの調子で自分のアルバムでも作るような感覚で投稿させていただきました。
見返してみると奈良のような地方の都市でも50年の歳月で大きく変わるものだと改めて思います。私が昔住んでいた住宅は取り壊されて立派な集合住宅に変わりましたし、今回のテーマだった奈良駅付近の近鉄線の地下化では、油阪付近で県道が近鉄線に代わって国鉄の上を跨ぐようになったかと思うと、今では道路が地平になってJRがその上を高架で走るという具合です。私鉄と国鉄が上になったり下になったりという例は阪急の梅田が確かそうであったように思いますが(違ってたらごめんなさい)。
近鉄奈良駅の地下化では西大寺ー奈良間の所要時間が特急で4分30秒から3分40秒に短縮され、上本町ー奈良間の日中の特急はそれまでの29分40秒運転から28分50秒運転にスピードアップされました。私の記憶ではこの翌年の難波乗り入れにあたってはさらにスピードアップされ、特急は難波ー奈良間を30分で走ったと思います。今の快速急行は(特急もそうですが)、西大寺を出ると学園前と生駒に停まるので大分格落ちしたように思います。今、改めて当時の列車ダイヤを見ていると上本町ー学園前間の所要時間は現在と大差ないように見えます。列車密度もありますが、当時の急行は頑張っていた?