- 岡山駅発7時5分発の「やくも1号」で出発しました❗️
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松江を出て乃木を過ぎると絶景の「宍道湖」が車窓にひろがります。
やくもの車窓で岸本付近の「大山」とハイライトを二分します。
出雲市駅に10時11分に着きました。
先頭に向かうと幕はすでに「回送」に、残念❕
出雲市駅で切符購入中の柴田さん。
ご多分に漏れず、出雲市もみどりの窓口が廃止され「みどりの券売機」になってました。
さすが隊長、日にちと経路指定で東京都区内までをさらりと発券されました❗️
構内の出雲そばのお店「黒崎」で名物の三色割子そばをいただきました。
切符購入やらお買い物に時間を費やしてしまい、気がつくと次の列車「スーパーおき3号」の発車まで15分をきってしまいました。
地方の中核駅の出雲市駅なのに「みどりの窓口なし・駅弁販売なし」とないないづくしでさっぱりでした。
出雲市駅発11時ちょうどのスーパーおき3号の1号車(指定席)、この日は増結で所定2両のところ、3両になってました。
我々はとなりの2号車です。
益田までは軌道の高速化が完成していて最高120㌔でぶっ飛ばします。
津和野には13時15分着、出雲市からは約2時間ちょっとの道のりです。
津和野駅は「観光協会」の委託駅になってました。
津和野駅前に鎮座するD51です。整備されてきれいな状態が保たれています。
広島工場で全検を受けていた蒸気の特徴で標識灯がフロントエプロンに埋め込まれています。
夏休みの日曜日というのに、津和野の街は寂れてました。
アンノン族(古い❗️)が大挙して押し寄せたふた昔前が信じられません。
駅に戻ると客車が据え付けてありました。
最後部の展望車が我々の乗った車両です。
2023年 夏合宿初日 7/30(日)

コメント
キハ187、相変わらずの健脚です。
キハ82が盛大にエンジン吹かしながら、ゼイゼイ走っていたのとはまさに隔世の間。
それにしても津和野は暑かった。
SL山口号ならずDL 山口号もかなりの乗車率でびっくりでした。
車内で地ビールが飲めるのがいい😄
出雲市駅で、東京までの乗車券を購入?
このあと、津和野へ行き、新山口、広島、備後落合、宍道、米子、岡山等々を経由して、東京まで行ったのでしょう。どんな乗車券?それも、みどりの券売機で購入。東京までの経由駅の入力数は、いくつかな?券売機にはいくつまでの経由駅を入れられるのでしょうか?謎が深まるばかりです。興味深々ですので、ぜひお会いした時に教えてくださいね。よろしく。
津和野駅が美しくなりましたね。新しくなって、もう1年になりますね。以前より大きく見えますね。また、「D51194」号機も駅前に移設されましたね。移設の際に整備されたのでしょうね。美しくなっていますね。小生と12年前に会った時は、車輪、ロッド、窓枠、ヘッドライト等々、あちこちが白ペンキを塗られていました。悲惨なものでしたが、投稿写真を見ると、それらが元に戻っていて、美しい姿に整備されているのが分かりました。安堵しました。いい写真を見せていただき、ありがとうございます。このまま美しく保存してもらいたいと願っています。頑張れ!津和野町❣
塚本様 いつも丁寧なコメント、ありがとうございます。D51-194の件ですが、よく見ると「旋回窓」になっていますね。蒸気末期に行われた検査期間の有効利用の「全国配転」で北国からこの地にやってきたのでしょうか?
小さな事ですが、気になりますね。
運転席側が旋回窓になっていますね。助手席側には付いていないようです。
車歴を調べてみると、1939年に大宮工場で製造され、田端に配属。その後、国府津-白河-宇都宮-白河-原ノ町を経て、1967年に広島にやってきていますね。広島の後、長門-小郡-津和野などにいて、1973年に廃車されていますね。廃車の前に、「山口線無煙化記念 さよならデゴイチ号」を牽引しています。これがご縁で、津和野町に身を寄せることになったのでしょうね。
ですから、旋回窓は、白河に配属されるときに付けられたのではないかと、小生は考えますが・・・。製造時からかもしれませんが、想像の域を出ません・・・。
小生は、1972年9月2日に、小郡(現ー新山口)でこのD51194号機に会っています。この日は、小郡機関区の扇形庫の中にいるC621を撮りに行ったのですが、その際、周りにいたSLも撮りました。その中にいました。山口線の貨物列車の運用についていました。
塚本様 詳しい解説をありがとうございます。呉線の大型蒸気がなくなった1970年(昭和45年)、私は小学6年生から中学生になったばかりでカメラの知識はおろか、自転車で岡山機関区に勝手にはいって「なぜ糸崎のC62が扇形庫がいるのか?」理由もわからず、鉄ちゃん少年やってました。