関西本線を走った 特急「あすか」 最終章

国鉄
関西本線笠置駅東の笠置渓谷を行く特急「あすか」名古屋行き
旧国鉄奈良駅に進入する 特急「あすか」の試乗列車 この列車に乗って阪和線金岡駅(現:堺市駅)まで行きました。 1965年2月
試乗列車のサボには、「くろしお」と「あすか」がはめられていました。「あすか」は前回紹介したサボと比べ、漢字が大きく、ひらがなが小さいものです。
試乗列車の食堂車に掲げてあった、この日の編成表です。車両番号も分かります。7両編成です。各車両の製造会社は、日本車両と新潟鐵工所(現:新潟トランシス)であることも分かります。編成のキハ8276が「前」と書かれています。名古屋方です。キハ8273が「後」と書かれています。和歌山方です。
試乗列車が金岡駅(現:堺市駅)に到着して、下車した直後の写真です。奈良駅からこの金岡駅(現:堺市駅)まで関西本線・阪和貨物線・阪和線を走って来ました。
営業運転日8:41 旧国鉄奈良駅に進入する 上り名古屋行き 特急「あすか」です。
旧国鉄奈良駅5番線に停車中の特急「あすか」名古屋行き この写真が、前回アップしなかった写真で、鉄道伝説で紹介されました。左の方にC11と駅名看板の「な」だけが見えています。チャンと撮っておけば良かったと後悔しています。
キロとキロの連結部分です。この時のサボも漢字が大きく、ひらがなが小さいです。また、この頃はグリーン車でなく、1等車です。その「1」が光っています。縁が遠かった1等車です。
8:44 旧国鉄奈良駅を名古屋に向けて発車していく特急「あすか」です。
関西本線 大河原駅の東1Kmほどのところにある踏切で撮りました。桜の花が咲き始めた頃です。

コメント

  1.  昨年10月に、『関西本線を走った特急「あすか」』が、BSフジテレビの「鉄道伝説」で採り上げられ、小生の写真が使われましたが、その写真の中で1枚だけwebrodにアップしていませんでした。「鉄道伝説」を見た友人から、「あの写真も…??」とのご指摘がありましたので、「その写真をアップしよう、アップしよう」と思いつつ今になりました。
     昨日、南本さんから、『関西本線を走った特急「あすか」(記念券追加)』にコメントをいただきました。これを機に、webrodにアップしなかった写真をアップしようと、最終章と銘打って、特急「あすか」の残りの写真を投稿することにしました。
     もう59年前の写真ですが、眺めていると、若き良き時代の思い出が蘇ってきます。
     今、かつての急行「かすが」のように、奈良と名古屋を関西本線を走って結ぶ列車構想が、噂されています。「実現すればいいなあ~」って思っています。

  2.  たくさんの「あすか」ありがとうございます。どれも貴重な一コマですが、個人的には奈良駅5番ホームに停車中の写真が一番好きです。
     ところでこうして多くの「あすか」を見ていると漢字書きの「飛鳥」に比べて平仮名の「あすか」は何となく締まりのないような気がしてきました。急行「やまと」ではなく「大和」の方がやはりしっくりきます。むかしは特急の名称はやわらかな感じが好まれたのか、みな平仮名表記で、戦後の特急第1号「平和」はディーゼル列車として復活したときに「へいわ」になりましたが(富士はずっと「ふじ」ではなく「富士」でしたが)、いつの頃からか「南風」や「新雪」「出羽」「北陸」と当たり前のように漢字書きの特急列車が登場するようになったのも時代の流れでしょうか。「あすか」も廃止されなかったら「飛鳥」になったかもしれないと思ったりしたことです。
     閑話休題。塚本さんが試乗した試運転列車は奈良→金岡(堺市)だったとのこと。写真では奈良駅ホームの影の様子から昼過ぎのようですが、新聞記事によれば初日の試運転列車は5時32分に東和歌山を出発して7時17分奈良駅着、終点名古屋に10時54分到着したとあるので、名古屋からすぐに折り返したか又は別のダイヤがあったのか興味深いところではあります。なお、試運転初日の「あすか」は当時の写真を見ると名古屋寄りからキハ82+キハ80+キシ80と中間のキハが1両しか連結されていないことから6両編成だったようです(ただし、記事には7両編成と記載されていますが・・・)。「あすか」の試運転は17日まで行われ、同時に設定された「くろしお」の試運転は2月5日から始まるとあったのでその時には所定の7両編成となったのかも知れません。

    •  コメントありがとうございます。
       試乗した「あすか」は、国鉄奈良駅を午後に出発しています。それは、お察しの通り、写真に写る駅舎や列車の影から分かります。金岡駅(現堺市駅)に到着した時の影からも分かります。この列車が、早朝に、和歌山から名古屋へ行って、引き返してきた「あすか」かどうかは、記憶にありません。
       食堂車に掲げてあった編成表には、「前」(キハ8276)・「後」(キハ8273)と書かれてありました。「前」は名古屋方で、「後」は東和歌山駅(現:和歌山駅)方です。そこから考えると、小生が乗った奈良から金岡までは、「後」が先頭になって走ったことになりますので、早朝、東和歌山駅(現:和歌山駅)を掲示の通り「前」を前にして走り、名古屋からの引き返しで「後」が前になって、奈良に走ってきたことになります。やはり、試運転は早朝和歌山を出て、午後、名古屋から引き返してきていたようですね。
       列車の愛称談義は、機会があればしたいですね。